桜、抹茶、白、日記

名古屋市在住のC++使いのcoderの日記だったもの。

日本の保健婦さん−前田黎生・95歳の旅路−

ちょくちょく行く、名古屋市女性会館にチラシが置いてあったので観てきました。今年映画館で映画観るのは96回目。

日本の保健婦さん−前田黎生・95歳の旅路−
http://www.cinemanest.com/hokenfusan/

以下、ネタバレ注意。

まあ色々凄い経歴

    1. 9歳の時、父親失踪
    2. 18歳位の時、家出して名古屋へ
    3. 名古屋で住み込み看護婦しながら看護学校へ通う。
    4. そこで仲良くなった友人が共産主義者でその影響を受けて看護婦を辞め、共産主義者夫婦の元に下宿し港区の町工場で働く。
    5. 仕事後に、金山にあった無産者診療所でボランティア看護婦をするようになる。
    6. その無産者診療所が原因で、警察に10ヶ月拘留、刑務所に3年間服役。警察に拘留されていた時は、たまに外国船の入国審査の立ち会いに連れて行って貰ったりしていた。
    7. 出所後再度名古屋に戻り、名古屋市の看護婦として保健所で働く。そしてその所長と結婚し退職。
    8. 戦後まもなく結核で夫を亡くす。
    9. 名古屋市の保健所に再就職。
    10. 名古屋市の中川保健所の係長になった際に、リーダー研修で東京へ。土曜会に参加し「自治体に働く保健婦のつどい」立ち上げへ。
    11. 名古屋市の保健所を定年退職し、民間企業へ就職。
    12. 民間企業において、企業倫理に関わる食品偽装、過労死問題に取り組む。
    13. 62歳の時に新聞に過去の恋愛について投稿し、炎上状態へ。
    14. 2001年に安曇野保健婦資料館を設立。
    15. 現在に至る。

戦時中は共産党員でもないのに投獄されていたって言っていたのに、戦後はかつてアカだった事を誇りにメーデーに参加ってナレーションがあって吹いた。
保健所って学祭とかで飲食系の出店するときにお世話になる位のイメージしかなかったけども、戦後の日本の公衆衛生において保健師の役割は大きかったんだなー。前田さん自身も今の保健師のあり方には危機感を持っておられるようですが。あととても勤勉なお方でした。